by Yasushi Katsumata


katsumata私の子供の頃の将来の夢はプロ野球選手になることだった。当時、日本の偉大なバッターの王貞 治氏が、メジャーリーグのハンク・アーロン氏が持つホームラン世界記録を塗り替えるという偉業 を達成していて、日本中に大フィーバーが巻き起こっていた頃である。5歳の時の私の日記には「僕 は将来、王貞治選手になる!」と書いてある。小学校に入る前から父親と野球の練習を始め、7歳 頃から地元のクラブチームに所属し、小学校での休み時間も含めてひたすら日々の生活の中心は 野球一色だった。来る日も来る日も野球の練習に明け暮れ、それなりに力をつけてきた頃にはチー ムの中でも中心的役割を担うようになっていた。

ある大会での決勝戦、私は序盤にスリーランホームランを放ちながらも途中で逆転され、相手に3 点差をつけられて最終回2アウト満塁で回ってきた打席においても走者一掃のヒットを打って同点 とし、結果的に自分がサヨナラのホームを踏んで逆転優勝となったのである。7対6で勝利したそ の7点のうちの6点を自分のバットで稼いだのだ。その試合の模様は新聞に載り、記事は今でも保 管してある。この時がまさに自分が野球選手として最も輝いていた瞬間であったと思う。それは まるで自分らしくないと言えるほどの活躍ぶりであった。なぜなら、元来自分はそのように脚光 を浴びるタイプではないからである。たくさんの人に褒めていただきながらも、もちろん嬉しさ はあるのだが何となく落ち着かないような気持ちでいた事を覚えている。

守備においては全てのポジションを経験したが、最終的にキャッチャーとしての適性を評価され、 自分でも好んでその位置に定着した。主役として試合を牽引していくピッチャーの調子や心理状態 を推し量り、最適と思われる球種を提案し、それをもって三振に取った時などはとても痛快であっ た。このポジションを通してサポートする喜びを大いに学んだ。

それからもずっと野球を続けていたが、中学生の夏に交通事故に遭い、その時の足の怪我が原因 でそれ以降激しい運動やスポーツを避けなければならなくなった。長年情熱を傾けていた野球か ら離れた私は、何をすべきか考えた末に文化的で華やかに見えたブラスバンド部に入部した。そ して直感に従ってホルンを希望した。ところが希望は叶わず、余っていたトランペットにまわされ たが紆余曲折を経て数年後にホルンを始めることができた。おそらく、見た目の美しさに心を奪 われてこの楽器を選んだのだと想像するが、その豊潤な音色に途端に夢中になった。その時には すでに、将来プロのホルン奏者になることを夢見ていた。何とも単純な思考である。

下吹きの役割はキャッチャーの仕事に似ていると思う。ある資料によれば、良いキャッチャーの 条件とは観察力、洞察力、分析力、記憶力を兼ね備え、いかなる場面にも対処できる能力の持ち 主であることだそうだ。私がとても尊敬する下吹きには、まさにその通りのプレイヤーが存在し ている。彼とコンビを組んだ上吹きは、「かつて経験したことのない程の極上の坐り心地のソ ファーに身を委ねているようだ!」と口を揃えて言っていた。皆がそれほどまでに快適に感じる というのは、やはり個々の上吹きに柔軟に対応して最適な環境を提供していたからであろう。た だ、それはもちろん自らの存在を消すことではなく、自身の音楽的欲求とホルンセクションで共 有できる情熱が必要不可欠であることは言うまでもない。

自分のカラーを強く持ち、意思をハッキリと貫きたい人は下吹きには向いていないかもしれない。 自分がヒーローになる事を常に夢見ている人は下吹きには向いていないかもしれない。 ヒーローインタビューのお立ち台に、自分たちのリーダーである1番奏者が上って喝采を浴びてい るのを遠くから眺めながら、それを自身の喜びとして感じれる人は下吹きに向いているかもしれ ない。

ここまで読んでいただいて、もうお気付きの方もいらっしゃると思う。下吹きの適性などを述べ ておきながら、プロ野球選手になりたかった子供の頃から、私の心の奥底では実はヒーローに憧 れ続けているという事実が存在する事を白状しなければならない!

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